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あっというまにもう師走ですね。

昨年と今年は例年より時の流れが早かったような気がします。

主にコロナのせいで。



家族でもな、ずっと一緒にいると疲れるの。

結婚する時もな、子供作る時もな、
完全に毎日24時間一緒にいることを想定しているわけでやってるわけじゃねぇんだわ。

と、まずは「じゃあなんで結婚したの~?」「それならなんで子供産んだの??」系のクソリプへの回答を置いておきますね。


配偶者は仕事に行くし、子供は長じて園や学校に行くことが想定の上だったんだわ。
コロナで休校なんて2020年の年明けまで誰も想像しなかっただろ?




と、一部の方面に向かって喧嘩を売られた想定で買い取ってみましたが、要は




もーー普段家にいないメンツが普段家にいないはずの時間にいる毎日が辛すぎて辛すぎて
ここ2年間の記憶がありませんよ。




というわけで改めて12月です。もう少しでクリスマスですね。





うちはキリスト教徒ではないのでクリスマスはありません!







と、いったような主義やこだわりは全く無いので、
アメリカにいた頃から全力でクリスマスに乗っかっております。





せっかくだし(元)駐在員家庭だし
子供には色々な文化を体験してほしいよね~




 

アメリカで育児を始めて初めて知ったモノの1つがアドベントカレンダーでした。



クリスマスまでの毎日、一つずつ開けて楽しむやつです。



長子にチョコレートを解禁してからは毎年やるようになりました。
(あわよくば日付の感覚を身に着けてほしかったんですが…まぁ育児はうまくいかないこともありますよね



うちは転勤族で大きなクリスマスツリーが買えないので
せめてアドベントカレンダーでクリスマスを楽しんでもらえたらと思って。





ところで、アドベントカレンダーの購入場所ですが
いつもトレジョで買っていたので、そういう価格のもんだと思ってました。




倭国に帰ってからはびっくり👛




チョコのカレンダーも高いので、もういっそ…






というわけで、LEGOブロックのアドベントカレンダーを買うようになりました。
クリスマスプレゼントも兼ねてます。


子供がLEGOで遊ぶようになってからなのでここ数年の物しか知りませんが、
一応毎年中身が違っている様子。いくつか種類もあるみたいなので前後の年で変えたりしています。
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2021.11.30 Tue l アメリカで育児 l コメント (0) トラックバック (0) l top
そういえば先週末はハロウィンでしたね🎃


初めての子供とのハロウィンがアメリカで数年間、

帰国後もハロウィンが盛んな地域にたまたま住んでいたり、
ハロウィンに熱心な友人ができたりしてズルズルとハロウィンをしています。


…が、上の子は成長して仮装が恥ずかしくなってきたようでそろそろ仮装は終わりかもしれません👻



🎃ハロウィン関連で上の子がアメリカでのハロウィンを思い出したので発言をメモしておきます。




・「とにかくオレンジ!って感じじゃなかったっけ?」  🎃パンプキンのイメージが強いですね



・「幼稚園(プリスクール)の遠足で農場行ったのは覚えてる。トラクターに乗ったのが楽しかった」
  食べられる物しか狩りに行かない夫婦の元に生まれ落ちたせいで、
  パンプキンパッチはスクールでしか行ったことが無かったね…
 (ちなみに同じ理由でクリスマスツリー狩りにも行ってません)



近所のおじさん、おばさん、アパートのコンシェルジュのおじさんおばさん、イースターにバレンタインなど
諸々で日々お菓子をもらっていたせいか、ハロウィンでお菓子をもらった記憶はさっぱり消えているようです。


あと近所のオブジェがガチお化け屋敷だったのとか、
コンシェルジュが本気のホラーコスプレをしていたのとかも記憶から抹消されている様子…


幼少期の記憶なんてこんなもんなのかなーと実感する今日この頃です。


2021.11.03 Wed l アメリカで育児 l コメント (0) トラックバック (0) l top
駐妻だった頃日々考えていたこと


・倭国でもアメリカでも専業主婦なので、日々の仕事は家事と育児ということで基本変わらない

・基本業務は変わらないけど、家の外はほぼ英語なので情報収集や活動は英語で行わないといけない。
  そしてこれが疲れの要因の1つ

・さらに倭国だったら遭遇しなかったであろうトラブルも降ってくるので心が休まらない

・トラブルに遭いすぎて、荒れ狂う心とは裏腹に脳みそフル回転して冷静に対処するようになった

・冷静にやらなきゃいけないことをやっている自分と泣きわめきたい自分が乖離している感覚がある
 (この感覚、本帰国後も治ってません

・しかし物理的にはひたすら家事と育児で何も生産もしてないように見える。目に見えるのは子供の成長だけ…






みたいなことを当時の日記等によく書いてあるのを見つけて読み返してみたんですが、


病んでるなぁ…


そりゃ病むわ。

  • 自らが100%望んだわけでもない異文化生活
  • 初めての育児、かつ頼れる身内や友人ナシ
  • 育児と家事の全責任⇒自分
  • 気を抜けない治安と人間関係(気を抜くとヤラレル)


よく無事に帰ってきたなと当時を振り返って思います。


海外駐在帯同は、生きて家族を維持してたらそれだけで偉い。



2021.11.02 Tue l 駐在妻のぼやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
御無沙汰しています。緊急事態宣言が解除されたので旅行に行こうか迷う今日この頃です。
旅行ついでに「そういえばアメリカではよく旅行していたな」と思い出したので今回の記事です。




アメリカで突発弾丸旅行の仕方


①出発日未明にエクスペディアなどの旅行サイトから宿を探して予約

②アメリカ生活必需品の自家用車でGO!


1泊2日で隣の群や州に行くくらいの小旅行はこんな感じでした。


海外勤務でSAN値(心労・ストレスの意)がたまった夫が週末、金曜から土曜に日付が変わる頃に
「〇〇(近郊の観光地)に行きたい」とか言い出すんですよ。

それでその話の流れでPC開いて宿予約して旅の荷作りして就寝、

その8時間後には出発です。



ただ、眠い頭で計画して支度していたので旅のスケジュールに穴が開いていたり


具体的には行きたいと思ったところが当日休業日だったり、オフシーズンだったり…

現地で急に行き先が無くなった時は『トリップアドバイザー』とかのアプリで
『現在地付近の観光名所・レストラン』検索を活用していました。

結構倭国人にはマイナーだけど、現地の人には人気の施設とか見つかって
それはそれで良かったような、でもやっぱり倭国人だから倭国人受けのいい所行きたかったと思ったり。


口コミサイト、倭国のぐるなびやGoogle検索の口コミは全然信用していないんですが、
アメリカの旅行アプリの口コミは結構当たっていることが多くて参考にしていました。

旅先のレストランもこれで美味しいところは大体見つかる。






さて、ただでさえ眠いTGIFなのに睡眠削って旅行の計画して準備して…

なんてやってるから
忘れ物も多かったです。


夫は運転係なので準備は私。

まぁちょこちょこ忘れるくらいだったら、
出先にも似たようなスーパー(なんでも売ってる)あるのでなんとかなるんですが


一度自分の服とスキンケアグッズ全部忘れて行ったことがありました。
夫と子供の分は完璧だったのになぁ…



服はさすがに現地調達するのは難しかったので我慢して着ました😓
アメリカでキャンプもしてたので耐えられましたが、
独身時代・倭国にいた頃だったら我慢できなかっただろうなと思いました。





でもちょっと待って。


忘れ物してもしかたなくない?


アメリカ(異国)で旅行、道中&旅の情報源英語、子供小さい。



考えることが多すぎない??


と、本帰国した今、倭国国内旅行と比べてそう思います。


なんであんなに駐在中旅行してたんだろう。いや、して良かったけど。

けど大変だった。苦行みたいなこともあった。

今はあの頃より旅行しやすいはずなのに全然してない(これはコロナのせい)


ただ、帰国後の国内旅行がベリーイージーモードに感じられるので、
無駄にアメリカで苦労してた分は成長になったのかなと自分を納得させています。

2021.10.22 Fri l アメリカ生活雑記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
いつのまにか夏休みも半分以上終わりましたが閲覧者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私はなぜか今年の夏休みは例年以上に忙しく、どのくらい忙しかったかは更新頻度を見てお察しください。


せっかく久しぶりに自宅のPCを開けたのにすでに疲れているので、

今回はこのまま駐妻時代の『疲れた思い出』のことを書きます。





駐妻生活にも慣れてきた頃、
「いつも同じママ友とばかり過ごしているかボッチだから、たまには違う友達作りたいな」と思うようになりました。


そんな時、ちょうど良いタイミングで『現地在住倭国人女性限定の集い』の開催情報を発見。

日程もちょうど良かったので参加してみることにしました。


子供は夫に頼み込んでお願いし(当時は亭主関白でしたが今は違います)

当日は、アメリカに来て初めての『自分一人で自分のためだけのお出かけ』にもなりました。




こうした倭国人女性向けの同性のお友達や知り合いづくりのためのお茶会は初めて。

どんな感じなんだろう…とうきうきドキドキしながら参加した私は






気づくと40~50歳年上のマダムに囲まれていました。




自由席のはずでしたが、いつのまにか私以外はぱっと見た感じの年齢層別に固まっています。
コース付きだったので途中の席替えは不可。




あれ?私、席選び失敗しちゃったかな?


という思考が一瞬頭をよぎりましたが、そんなこと初対面のマダム達に失礼です。


普段のワンオペ育児生活@アメリカではなかなか遭遇しないであろう「倭国人高齢女性」と話せる機会なんてそうそうないんだから!せっかくだからなんか勉強になる話とか聞けるかもしれない。


そう思ってアラカン女子トークに必死で食らいつき、ついていけないときは潔く笑顔を顔面に貼り付けていました。




そんな女子会のトーク内容は
・同業者同士の業界トーク
・アラカン特有の身体の衰え、墓じまい
・私より年上のお子様の武勇伝




もう無理⭐️



最後の最後の10分ほどで主催者が私の状態に気がついてくれたのか、
席のシャッフルをしてくれました。が、もう最後のお茶が出た後でした。


「現地在住の倭国人女性同士の交流を~」という目的の会だったのもあり、

私以外のマダムや他の参加者たちはうまく同世代っぽい人同士で近い席に座っていたのもあり、




私何しに来たんだろうな…

と。

ぶっちゃけ高いお茶会代だけ払って終わったようなものです。


たまに倭国人と積極的に交流しようとするとこれだもの。
もう運が無い。

もちろん違う世代の人とも積極的に話そうとしました。
ただ、あちらが同世代や同業者でしか通じない話ばかり発しないときはどうしようもない。



同世代だけで話したいなら募集年代明記してくれればいいのになぁ…


帰り道は「今日は楽しかった。今日は楽しかった…$Xは無駄じゃなかった…」と自分に言い聞かせながら足を動かしていました。


お茶会にしては安くはないお金だったし、
せっかくの休日に子守を押し付けちゃったという負い目もあって
尚更夫には「つまらなかった」とはいえませんでした。

夫が稼いでくれたお金、しょーもないことに使っちゃったな





頑張って話しかけても塩対応、同じ席で自分だけ入れない話題で盛り上がられるって結構キツイですよね。


お金払ってキツイ思いしに行った私なんだったんだろう…と数時間凹みましたし、

今でもこんな記事書くくらいには根に持ってます。


・家族で行ってみたいと思ってたお店の下見ができた
(ちなみにまた行きたいとは思えなかった)
・在米10-30年の方の感覚が垣間見れた
勉強になったと思いながら前向き精神を再構築しましたが


その後私がオフ会や倭国人向けの集まりに出ることはありませんでした。






冷静になってふりかえると、
私は一口に「新しい友達が欲しい」と言っても
実は想定してたのは
「できたら同世代。子持ちで育児の話ができたら尚良い。±10歳くらいでも楽しく話せそう」
だったんですよね。

巷では『駐妻はすぐ倭国人同士・子持ち同士で群れる』と言われがちですが

だってそっちの方が限られた時間で効率的に
情報交換出来て(状況が似てると求めてる情報も似る)
愚痴や悩みが共通してるから安心感が得られて
子供を連れて行っても気兼ねなく交流できるからなんですよね。


そしてすでに似たような属性の人にばかり囲まれていたので
当時の私の中では『現地在住倭国人女性=駐妻・留学生・青年移住者』となっていました。

これは視野が狭い自分の落ち度ですが、
移住後何十年も経ってる方や、倭国でリタイア後に移住してきている人もいる
ということにまで考えが至らなかったです。
『倭国人女性』というくくりだけだったら、そりゃ幅広い属性・年代の人が来ますよね…



私が求めていたのは「同世代±10歳でできたら既婚・子持ち・専業主婦」で
その内には「仕事や人脈ではなく友人・ママ友に発展できそうな関係」への欲求がありました。


それに早く気がついて、
対象年齢が幅広すぎる上に『交流会』と称して席の近い人としか話せない会場だった
今回の交流会の参加はやめておけば良かったです。





あーあ!Xドルと貴重な子守カードをドブに捨てちゃった!!








こういう柄にもない交流会に行こうと思っちゃったり
行って後悔したり


そんなことも本帰国したら全く無くなりました。
駐妻の経験はやっぱり何かしら精神に影響を与えるんじゃないかなーと疑っている今日この頃です。



2021.08.21 Sat l アメリカ生活 失敗談 l コメント (0) トラックバック (0) l top
そろそろアメリカは学期末でしょうか(うろ覚え)

私が駐妻だった頃もなんだかんだで倭国人コミュニティや友人同士での送別会があったような気がします。

ただ、回数はいなくなる人につき各コミュニティやグループで1回ずつ
同じ時期に引越す人はグループ内でまとめてやっていました。

この送別会のやり方だの回数だのは、その倭国人コミュニティによって違うみたいですね。


聞いた話ですごいなと思ったのは
「送別会は1人につき3回」「空港まで見送る」
というコミュニティ独自のルールがあるところの話です。


つまり1人引っ越すのを機に3回パーティしたり出立日に空港まで見送るそうです。
(小泉孝太郎構文)




うーん(゜-゜)
仲が良い人だったら「そこまでしてあげたい!」ってなるかもしれませんが
仲が良くなくても夫の会社関係でやらないといけない間柄だと嫌ですね。そういう回数です。




ちなみに私は送別会をやってもらった時に初対面の人がたくさんきてくれたことがあります。
会費は送られる側持ちでした。

以降コミュニティやグループで開かれる送別会は辞退させていただくようになり
その後の引越では個人的にじっくり挨拶したい人だけ引越作業前の我が家に招く形式に落ち着きました。






そして「おもてなし」とか「おうちパーティ」、「おうちプレイデート」を駐妻の頃散々頑張ったせいか

反動で本帰国後は一度も他人を自宅に招いたことがありません。


その時一番暮らしやすく気楽にすごせる方法があるって、素晴らしいことだと思います。
2021.06.04 Fri l 駐在妻のぼやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
以前、「倭国人が少ないところに住んだらオシャレしなくなった」と書きましたが、
それに関連しておしゃれじゃない話。


そこそこの年数をアメリカで過ごしたので、倭国から一緒に渡米した衣類がわりと
『倭国では完全に流行遅れになってしまったファッション』になっていました。



もう少し具体的に。
私がアメリカにいたのは2010年代中頃だったんですが、
持っていった服の中には2010年代初頭に買った物もあったりして…

渡米した頃は「ちょっと古いかな~」という感じだったんですが、
いざ本帰国の前に倭国のファッション見てみたら

「こいつは着られないな!!??」

となる服が結構ありました。


たかが服、されど服…


2020年頃は皆ロングスカートやらワイドパンツ履いてますが

2010年代初頭はまだショートパンツやトレンカをショート丈の下に合わせたりしてましたよね。






あとはビジュー付きのトップスとかショート丈のトップスとかも流行ってたと思います。




トレンカ…とか今の若い子知ってるんでしょうか…



まぁそれはともかく、そんなファッション界の骨董品みたいな服をアメリカにもっていってしまっていたのです。


で、どうなったかと言うと




倭国の流行おくれの古い服×オシャレに興味を失ったアメリカ駐妻
=普通に着る




だって倭国人以外は私の服が流行遅れだとわからないから。

倭国人が周りにたくさんいたり、倭国に居たら捨ててただろうな…

そんな感じで、アメリカで思わず延命させてしまった服がそこそこありました。

本帰国の時に惜しみなく捨ててきたけど。


by カエレバ
2021.06.04 Fri l アメリカ生活雑記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
以前現地倭国人向けのフリマサイトで出品者側から見てイラっとする買い手について書きましたが

今回は購入者側から見て「こういう人よく見かけるけど取引するのは嫌だなぁ」と思ったことを述べていきますね。



アメリカの倭国人向けフリマサイト(掲示板含む)あるある…


それは



超強気の値段付けてる件


フリマサイトって基本は不要になった物を売ってると思うんですよね。

要は「商品=出品者のゴミ」


だから他の同じようなモノよりも高い値段をつけてるのを見ると(そして売れ残っているのを見ると)

「これは『出品者にとっては価値があるものかもしれませんが、赤の他人から見たらただのゴミ』」

…とざわざわする気持ちを覚えました。



特に目についたのが倭国語で書かれた参考書などの教材系。

元値が高いから売る側は元取りたいし、買いたい人は古い物はそんなに欲しくない📚


海を越えて倭国から連れて行った物には、

自分なりの付加価値(輸送費)をつけたくなっちゃうものなのかもしれません。




本帰国してからフリマアプリを始めたんですが、


駐妻の頃のアメリカの倭国人向けフリマサイトと比べて

「強気すぎる値段で出品してる人が少ないな」と思いました。


そもそもの母数が違うせいもあるのか、相手にされない商品はどんどん埋もれていっちゃうんですよね。


反対にアメリカの倭国人向けサイトは

「倭国語読み書きできる人」×「当地に住んでいる人」×「そういうサイトを使う人」

でユーザーが絞り込まれてしまって、なかなか売れないことにも気がつけなさそうだなと思います。




ということを反面教師にして、アメリカで物を売る時は

①投稿前に他の投稿を見てサイト内での相場を把握

②売る物の状態と相場を考えて値段設定

③売れなかったらどんどん値下げ

で、不用品をさばきました。

2021.05.18 Tue l アメリカ生活雑記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
【アメリカで食べられるもので好きだったもの】


スーパーのBakery、Bakingコーナーが聖地。

・各種のパイ、タルト、ビスケット

平野顕子のアメリカン・パイspecial box

平野顕子 河出書房新社 2013年10月
売り上げランキング :
by ヨメレバ




・ピザ
生地が薄いのも分厚いのも。何でもうまい



・芽キャベツ

ニンニクとオリーブオイルでソテーにするのが好きでした
フリーズドライ芽キャベツ(8g)
by カエレバ



・他人が調理したアーティチョーク
『他人が調理した』というのが重要ポイントです。
アーティチョーク
by カエレバ

自分じゃやりたくない。

調理済みのアーティチョークと適当に焼いたチキンを挟んだサンドイッチが美味しかったです。



・ラディッシュ

トーホク 赤丸 廿日大根 12ml
by カエレバ

本帰国後はスーパーで見つからなかったり
〇isixで注文したら1粒しか入ってなかったりしたので自家栽培することにしました。

種なら倭国のどこにでも売っている不思議。



・アメリカのイタリアン、メキシコ料理

外食時の店選びに迷ったらまずこの2択。アメリカ国内旅行先でもこの2択。

・バクラバ
中東系の飲食スポットを見かけたら必ず買ってた。

・コーンブレッド
サンクスギビング1回目から好きなやつ。
ターキーは1回食べたきりでしたがコーンブレッドはサンクスギビングじゃなくても1人で作って食べました。


コ-ンブレッド賛歌 /旭屋出版/クレセント・ドラゴンワゴン
by カエレバ
砂糖多めに入れてジャリジャリ感と元々のパサパサ感の競演を楽しみたい。

・どすこい系パンケーキ
 
パンケーキハウスにもよく行きました。
繊細な盛り付けとか要らないんですよ。
パンケーキ(カロリー)とボトルでサーブされたシロップ(カロリー)があればいい。

パンケーキのお店に行けない時は作っていました。





・ピタ、ナン、ベーグル他色々なパン

ユダヤ系の炭水化物が本当に好きで好きで…

回数は多くいけませんでしたがアーミッシュマーケットも最高でした








炭水化物ばかりで今摂取カロリーのことを考えるとゾッとしますが
当時食べてる時は幸せでした。

2021.05.01 Sat l アメリカの食品 l コメント (0) トラックバック (0) l top
アメリカで一番死ぬかもと思った瞬間



それはアメリカ軍基地の見学に行けることになって、

見学当日入り口を間違えて見張りの兵士に銃を突き付けられた時。




それまで赤子連れだったせいもあり、
アメリカではどこでも倭国以上に親切にされたり、色々と多めに見てもらったりしてばかりだったので

待遇の寒暖差で心のグッピーちゃんが死ぬ…🐠

なんて冗談も出ないほどには「やべえ死ぬ」と思いました。

次見学する機会があったら絶対入り口を間違えないようにしたいと思います。
2021.04.30 Fri l アメリカ生活 失敗談 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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